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大阪高等裁判所 平成7年(う)447号 判決 1996年3月21日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人生口隆久作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、被告人には、対面信号を確認し、信号に従って進行すべき業務上の注意義務を怠り、対面信号機が赤色を表示していたのを看過して判示交差点(以下「本件交差点」という。)に進入した過失があったと認定したが、被告人は対面信号が青色であることを確認した上で右交差点に進入したのであって、被告人に対面信号機の赤色表示を看過した過失はなかったのであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというものである。

そこで、被告人が本件交差点に進入したときの対面信号の表示につき、記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せて検討したうえ、次のとおり判断する。

まず、被告人は、本件事故時の運転状況につき、尼崎市常光寺方面から本件交差点に向かって対面信号機の赤色表示を見ながら西進していたところ、同交差点の東側停止線から約一二メートル(東側横断歩道から約一八・五メートル)手前で、対面信号が赤色から青色に変わったので、やや加速してそのまま交差点に進入したというのである(被告人の平成五年一〇月二五日付警察官調書、司法警察員作成の実況見分調書(原審検察官証拠請求番号二)、原審及び当審における被告人の各供述)。

これに対し、事故の相手方であるBは、同市潮江の交差点で信号待ちした後、本件交差点に向かって時速五〇ないし五五キロメートルで南進し、途中で停止することなく本件交差点の対面信号が青色を表示している間に同交差点に進入したと証言している(原審公判)。この証言によれば、被告人車が本件交差点に進入する前に対面信号が青色になることはあり得ないのであるが、司法警察員作成の実況見分調書(原審検察官証拠請求番号三四)によると、警察官の実験では、自動車を運転して右潮江の交差点で信号待ちし、青信号に変わってから先頭で発進して本件交差点まで走行すると、時速四〇キロメートルの場合は、同交差点北側停止線の二〇ないし二五メートル手前で対面信号が赤色になり、時速五〇キロメートルの場合は、同停止線の二〇ないし二五メートル手前で対面信号が黄色になり、時速五五キロメートルの場合は、同交差点北側横断歩道上で対面信号が黄色になるというのであり、また、Aの警察官調書によると、被告人車の後部右側座席に乗っていた同人は、B車が本件交差点に入ろうとしていたとき、同交差点北側停止線付近に二、三台の自動車が交差点に向かって停止していたというのであって、この時点で信号待ちしていた車の存在が窺われ、これらの証拠に照らすと、B証言のうち、本件交差点に進入時、対面信号が青色を表示していた旨の供述部分はたやすく措信できない。

そこで、本件事故を目撃した第三者の供述について検討を進めると、まず、前記Aは、事故時の信号を見た者ではないが、その供述によれば、B車が本件交差点に進入したとき、その左側の第一車線上に同方向の車二、三台が信号待ちしていたこと、したがって、その時点では南北道路の車両用信号は赤色か、少なくとも黄色の終わりころであったことが窺われる。

次いで、C子の原審証言によれば、同人は自転車に乗って本件交差点の南方西側の歩道上を同交差点に向かって進み、同交差点南西角付近に来たとき、同交差点北西角にある南北方向の歩行者用信号が青色で点滅しているのを見て、そのまま北方へ横断歩道を渡ることを諦め、東へ向きを変えて東方へ渡る横断歩道の前まで来たところブレーキ音がして、本件事故が発生したが、右青色点滅を見てから本件事故が発生するまでの時間は二、三秒であったというのであり、兵庫県警察本部交通部交通規制課長作成の捜査照会回答書によれば、当時の本件交差点の南北車両用信号機の設定秒数は、南北歩行者用信号の青色点滅が終わってから、青色二秒、黄色四秒、赤色五一ないし五三秒(うち初めの全赤三秒)の順で表示されていたことが認められるから、C子が青色点滅の終わりころを見たとしても、東西車両用信号が青色になるまでに九秒を要するのであって、C子が青色点滅を見てから二、三秒後に事故が発生したのであれば、B車はその対面信号が青色かせいぜい黄色の間に交差点に進入したことになるから、被告人車は対面信号がいまだ赤色である間に交差点内に進入したことになる。もっとも、C子は、右目撃状況につき、本件事故から約五〇日を経過した平成五年一二月一四日ころに初めて警察官に申述し、さらに約八か月半も経過した同六年八月三一日の原審公判において証言したものであるから、秒単位の時間等の記憶の不正確さは免れ得ないものの、供述内容自体には格別不自然、不合理な点はない。

ところが、当審において取り調べた証拠のうち、D子の平成五年一〇月二四日付警察官調書によれば、同人は、本件交差点に向かってその南方西側の歩道を友人のE子、F子と一緒に歩いているとき、同交差点南西角付近で本件事故を目撃したのであるが、事故直前、同交差点北西角にある南北の車両用信号が赤色になっていたのを見たし、また、同交差点北東角にある東西の車両用信号が黄色を表示し、事故直後も右東西の車両用信号が黄色を表示していたので、友達同士で「黄色やなあ。」と話し合ったというのであり、右E子の同日付警察官調書によれば、事故直前、同交差点北西角にある南北の車両用信号の赤色表示を見たし、事故直後、同交差点北東角にある東西の車両用信号は黄色、南東角にある東西の歩行者用信号は赤色を表示していたというのである。右両名は、同年一二月二七日付の各警察官調書において、いずれも、同年一〇月二四日付の前記供述調書の内容を訂正し、同人らが見た黄色信号は東西の車両用信号ではなく、南北の車両用信号であり、事故当日は、興奮したり、上がったりしていたため、方角を勘違いして供述したものであると述べているが、当審公判において、いずれも、右供述の訂正に関し、警察から信号の色について逆のことを言う人(前記C子のこと)が出てきたのでもう一度聴かせてほしいということで呼ばれ、事故から日が経っていたこともあるが、又呼び出されるのが嫌だったし、面倒くさかったので、その人の言うことに合わせて述べた、事故当日供述した際興奮していたり、上がっていたりしたことはなく、方角を勘違いして述べたこともない、二度目の調書の内容は記憶に基づく供述ではなく、最初の調書の内容の方が記憶に従った供述である旨証言しているので、後に作成された右各供述調書の記載内容は措信できないというべきである。そして、最初に作成された右各供述調書の内容は、右両名の当審公判での証言内容と符合しない部分もあるけれども、当審における右証言は、本件事故から二年二か月余りを経過しており、記憶の希薄化や変容は避けられないから、それと符合しないからといってその部分の信用性を否定することは相当でない。また、右各調書の供述記載のうち、本件事故発生時、東西の車両用信号が黄色であったという部分は、事故直前、南北の歩行者用信号が青色点滅であったという前記C子証言と全く相入れないが、右各調書は、内容が簡略にすぎるきらいはあるものの、いまだ記憶の新しい、事故当日の供述を録取したものであり、その内容自体にも信用性を疑わせるところは見い出せない。

してみると、被告人車が本件交差点に進入したときの対面信号機の表示については、事故の当事者たる被告人の警察官調書、原審及び当審公判における各供述並びにBの原審証言は他の証拠に照らして措信しがたく、第三者の前記各目撃証言は、互いに食い違い、あるいは、相入れないのであるが、それぞれの信用性を一概に否定しきれないので、本件の全証拠によっても右信号表示を確定することができず、したがって、被告人が本件交差点進入時対面信号機の赤色表示を看過したと認めるに足りる証拠がないことになり、結局、本件公訴事実は犯罪の証明が十分でないといわざるを得ない。被告人が本件交差点に進入するとき対面する信号機が赤色を表示していたとして被告人の過失を認めた原判決は、この点において事実を誤認したもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

よって、本件控訴は理由があるので刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において更に判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、平成五年一〇月二四日午前八時五五分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、時速約五〇キロメートルで西進して兵庫県尼崎市長洲東通二丁目一番一号先の信号機により交通整理が行われている交差点に差しかかった際、対面信号を確認し、信号に従って進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、対面する信号機が赤色を表示していたのを看過して右交差点に進入した過失により、折から、右方道路から信号に従って進入してきたB(当六三年)運転の普通乗用自動車の左前部に自車の右側面前部を衝突させ、よって別表記載のとおり、同人ほか六名に対し、それぞれ傷害を負わせたものである。」というのであるが、前示のとおり、犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

別表

番号、被害者の氏名、年齢、傷害の部位・程度の傷病名、加療期間、乗車車両

一、B、当六三年、右硬膜下出血等、約二一日間、被害車両運転

二、G、当三五年、左側頭部打撲等、約一四日間、右車両同乗

三、H子、当五七年、頭部打撲等、約一〇日間、右同

四、I子、当七〇年、左橈骨骨折等、約二か月間、加害車両同乗

五、J子、当七七年、頭部、左膝打撲等、約二一日間、右同

六、K子、当八〇年、頭部打撲等、約二一日間、右同

七、A、当一一年、前額部打撲、約五日間、右同

(裁判長裁判官 青木暢茂 裁判官 梶田英雄 裁判官 東尾竜一)

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